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2022/07/31 05:44みだれ髪の君
おはようございます。
朝の空気が、とても気持ちがいいです。
日が出てまもなくの東の空を見上げると、空の青と雲の白、そこにほんのりと朝焼けの黄金色がアクセントに添えられた自然が奏でるロケーションの素朴さに、心が清められるようでした。
朝ならではのこの光景に、やっぱり早起きはいいなとしみじみ感じていました。
先日、予定外の二次会のお店に入ると、とても素敵な歌声が聴こえてきました。
美空ひばりの「みだれ髪」でした。
歌っていたのは男性でした。
「憎や恋しや 塩屋の美咲」というあたりから、画面に映る歌詞を目で追っていました。
3番まで歌詞を読み終えたとき、この歌詞は、「好き」とか「愛してる」を超越した、激しく燃える女の情念のようなものを表現しているのではないかと思いました。
情念というと重苦しく執念深いイメージを想像してしまいますが、「みだれ髪」の歌詞は無駄なものが削ぎ落とされ、愛する人へのやるせない思いをとことん突き詰めているようでした。
一言一句はただの単語かもしれませんが、それらの並びの流れの根底には、邪魔されることを許さない愛、そしてその愛に生きる真っ直ぐな女心があるように感じました。
何だか与謝野晶子の歌集「みだれ髪」と重なるようでした。
明治の情熱歌人、与謝野晶子の「みだれ髪」は、晶子が一途な恋を歌に読み上げ、その想いを伝えたものです。大胆で官能的な歌もありますが、性的な描写ではありますが、決してどぎつくなく、あくまでも人間的です。そして、新鮮で身近な感動を与えてくれます。
批判もされましたが、うら若き歌人 与謝野晶子の言葉に、当時の人々は魅了されたことでしょう。
詩歌や小説などの作品は、なんといってもその新鮮味と人生に対する深い考察が魅力です。
風景の美しさを描いた作品もありますが、その本質は風景ではなく、あくまでも描いた人の人間的な美であると考えます。
人間的な美とは、もしかしたら一途な思いを貫き通す原動力のようなものかもしれません。
そしてそれも、情念ではないかと思いました。
「凛と立つ 花は大地に 支えられ
想いを歌に 艶やかに咲く」
凛と立つ花のように、みだれ髪の君のように。
今日も、よい一日をお過ごしください。
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2022/07/30 05:56考える葦
おはようございます。
毎日続くこの暑さ。
でも、暑さにバテているのは人間だけではないようです。
たまたま犬を抱いていた女性とエレベーターで一緒になりましたが、ワンちゃんも暑さには弱いそうです。
また、スマホも同様のよう。
この暑さで、バッテリーが異常に熱くなったり膨張したりするそうです。これをスマホ熱中症といい、SNSではかなり話題となっています。
新聞で、小中学生を対象として実施された全国学力テストについての記事を見つけました。
中学理科の正答率が5割を切ったらしいです。
今回の理科のテストは、新しい学習指導要領に基づいて出題されたようで、観察や実験を重視する「探究」の問題に対応できなかったとみられています。
また国語は小中とも考えを書く問題が伸び悩み、数学は新指導要領で重点を置く「データ活用」が苦手な傾向にあるということでした。
この記事を読んで、自分のまわりのことを思うと何となく納得できるような気がしました。
「考える」ということをしなくなったような感があります。
インターネットの普及拡大で、自分であれこれ考えなくても答えはネット上に溢れるほどにころがっています。それをコピぺすれば済むのです。また、次から次へと情報が与えられるために、じっくり考えて自分なりの意見を持つということもなくなってきたように思います。
「人間は考える葦である」とフランスの哲学者者 パスカルは言っています。
「人間は自然の中では葦のように弱い存在である。しかし、人間は頭を使って考えることができる。考えることこそ人間に与えられた偉大な力である」ということを述べているのです。
生まれながらにしてある素晴らしい能力を活用しないとは、本当にもったいないことです。
指導要領に記載するだけではなく、教育の現場にこそ、子どもたちに考えさせる場面を作っていかなければならないのではないかと思いました。
なんちゃって、ちょっと偉そうなことを言ってしまいました。
今日も、よい一日をお過ごしください。
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2022/07/29 05:46シャトーブリアン
おはようございます。
毎日、暑い日が続いています。でもこの暑さが当たり前になると、だんだん慣れてきたようにも感じます。
開催を予定していた大人数での会食やホテルでのパーティーは、昨日から中止の連絡が入ってくるようになりました。
やっぱりとは思いましたが、こちらには慣れるどころかちょっと心配です。
といいながら、昨日は少人数での会食でした。肉のコース料理でした。
和食であっさりがいい時、何となくお肉を食べたい時、鰻でも蒲焼きがいいなと思う時または白焼きにわさび醤油でさっぱりといきたい時、その時々の体調や気分で好みはいろいろ変わります。
この暑さのせいで、無意識のうちに体力をつけなければと思っているのでしょうか、なぜかみんな肉料理で意見が一致しました。
今回のコースは、いつもと違う楽しみがあります。それは、シャトーブリアンが出てくることです。
「なんでこんなに高いのか?」とずっと気になっていましたが、初めて食べた時の柔らかさは忘れられませんでした。
また脂が少ないというのも気に入った理由のひとつかもしれません。
シャトーブリアンは牛ヒレの中でも中央部分の最も肉質が柔らかい部位(大腰筋)もしくは、その部位を使ったステーキのことを意味するのだそうです。
動物の筋肉は運動量が多くなるにつれて硬くなりますが、シャトーブリアンは牛の体の中でもっとも運動量が少ない部位のため柔らかいということでした。
柔らかい部位は脂身が多いイメージですが、シャトーブリアンは脂肪が少ないのです。
これがまた、不思議です。
いよいよお待ちかねの一品。大事に大事に焦がさないように焼いて、パクッ。
口の中にジュワーと広がる味わいと赤ワインとのマリアージュは最高でした。
サシの多い肉もジュワーッと感はありますが、こちらは脂肪が多いため、あまりたくさんは食べられません。でも、脂肪が少ないシャトーブリアンならたくさん食べられるような気もしました。
値段を考えると、絶対に無理ですけどね!
今日も、よい一日をお過ごしください。
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2022/07/28 05:49みたらし祭り
おはようございます。
いつもの朝のウォーキングをしていると、夏至の頃からみると、日の出が遅くなっていることに気づくようになりました。夏ももう終わりに差しかかっているようなな気になりました。
その反面、あたり一面に蝉の鳴き声が響き、まさに夏真っ盛り。
移ろいゆく季節、それに伴う自然の微妙な変化に朝から感激していました。
数日前より電車の吊り下げ広告のなかに「みたらし祭り」をPRしているものを見つけました。
もしかしたら「みたらし団子発祥の地」といわれている滋賀県大津市の唐崎神社ではないかと思いながら、座っている座席からは少し距離があったので詳細を見ることができませんでした。
ですがどうしても気になって、再度その広告を発見したときに、せっかくキープした座席を諦めて近くまで移動しました。
「人をつなぐ 時をつなぐ 文化をつなぐ」というキャッチコピーの文化庁の広告でした。
タイトルは「みたらし祭り」、まさに今日7月28日に唐崎神社で開催されます。
みたらし祭りは、暑い夏を無事に過ごし、厄祓いを祈願するお祭りです。湖上のお焚き上げや、関西では珍しい手筒花火の奉納が繰り広げられるそうです。
唐崎神社のある唐崎は、近江八景の「唐崎の夜雨」で有名です。
歌川広重の浮世絵では、雨が降る暗闇に大きな松が浮かび上がるようにして描かれています。その大きな松のある風景が今でも唐崎に残っています。そして松の脇には松尾芭蕉の俳句もひっそりと残っています。
「唐崎の 松は花より 朧にて」
実は、以前みたらし団子を食べに唐崎に行ったことがあるのです。だから余計に、祭りの広告が気になったのかもしれません。
唐崎神社の鳥居の前に、一軒だけみたらし団子屋さんがありました。江戸時代からのお店です。
団子というよりも、焼きもちにタレがかかっているようなイメージでしたが、注文してから焼いてくださるのでとても美味しくて食べ応えがありました。
みたらし団子にみたらし祭りといえば、京都の下鴨神社も有名です。そして下鴨神社もまたみたらし団子発祥の地といわれています。
発祥の地は、唐崎神社と下鴨神社、いったいどちらなんでしょうか。
今日も、よい一日をお過ごしください。
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2022/07/27 08:19湖北にて
おはようございます。
今日は昼から雨が降るようです。
雨が降るのは、何だか久しぶりのような気がします。
傘を持っていくのは面倒ですが、少しは涼を感じることができるといいなと思いました。
昨日は、限りなく透明で美しい自然の神秘に魅了され、長い歴史のなかで育まれた奥深い郷土料理を味わいました。
北国街道として栄えた滋賀県の長浜です。
そこには、いつもと違う琵琶湖がありました。
果てしなく拡がる大海原のようでした。
ピュアな青い水面が風に揺れながらキラキラ光り、微かに笑みを浮かべているようでした。
南湖では見られない北湖の美しさがここにありました。
長浜市周辺の湖北地方に伝わる郷土料理に、「焼鯖そうめん」があります。
鯖を甘辛く炊き込み、その出汁で茹で上がったそうめんを軽く炊いて、そうめんの上に炊いた焼き鯖を盛り付けるというものです。
お昼の会席料理の一品として、家庭料理のような見た目も映えない焼き鯖そうめんが出てきました。
この地味な料理にかなりトーンが下がりましたが、これがまたとても美味しくて懐かしい味わいがしたのには驚きました。
出てきた数々の料理の中で、一番の美味だったように思いました。
焼き鯖そうめんが郷土料理となった理由には、「五月見舞い」という湖北地方独特の習慣に由来しているという説があります。
「五月見舞い」とは、農繁期である5月に農家へ嫁いだ娘を気遣って、嫁ぎ先に焼き鯖を届けるという習慣のことです。
長浜は若狭湾に近いこともあり、鯖はとても身近な食材だったそうです。
また焼き鯖そうめんは、客人をもてなすハレの日のご馳走でもあったみたいです。
焼き鯖そうめんは、娘を思いやる親の愛、お客さまへの心を込めたおもてなしの郷土料理として、ここ長浜で代々伝えられてきました。
今でもその味はたくさんの人に愛され、お店にもそれぞれの味が受け継がれています。
その土地ごとに伝わる郷土料理とは、地元の歴史や人々のくらし、気候や風土などのさまざまな要因が重なり、心を込めて作られ続けて形になって表れたものだと思いました。
その営みをずっと見つめてきた琵琶湖は、今いったい何を思っているのでしょうか。
もしかしたら、外来魚に生態系のバランスを崩されていることを悲しんでいるかもしれません。
またもしかしたら、人間による環境破壊に心を痛めているかもしれません。
さらさら吹く風に、水面が少し波打っているようでした。
琵琶湖の心の叫びのようにも見えました。
今日も、よい一日をお過ごしください。
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2022/07/26 05:50うなぎのぼり
おはようございます。
朝の少し冷んやりとした空気は、気持ちがいいです。
そして朝まだ早い街並みには、これから起き出す静けさを感じます。それもまた、いいものです。
自分がちょっと早起きをしている優越感なのでしょうか。
23日の土用の丑の日は過ぎてしまいましたが、デパ地下の売り場にはまだまだ鰻や鰻料理が並んでいます。
家族揃って夕食をとる日が限られていたり、外食の予定が入っていたり等、なかなか決まった日に決まった料理を食べるということが難しくなっているのでしょうね。
ですから23日限定ではなく、その前後も含めて鰻週間みたいな扱いなんだなと思いました。
私の家も、みんなで鰻を食べるのは今日の予定となっています。
以前から予約をしていたうな重なのですが、う巻きも一緒についているみたいです。
わざわざ取りに行かなければいけないのは面倒ですが、お吸い物だけ作っておけば夕食の準備が手抜きできると朝から喜んでいました。
普段から鰻の値段は高いですが、今年は少し値上がりしてるという声を耳にしました。
鰻の稚魚が獲れなくなってきたということと、ウクライナ情勢や円高による燃料費の値上がりが原因のようです。
夏バテ防止にはぴったりの鰻なのですが、このように値段が上がっていくと、だんだん手が届かなくなりそうです。
とはいっても、鰻週間にはやっぱり一度は鰻を食べないといけないという気持ちになります。
人気、価格ともに、うなぎのぼりの鰻です。
今日も、よい一日をお過ごしください。
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2022/07/25 07:55後の祭り
おはようございます。
祇園祭・後祭の山鉾巡行も終わり、いよいよ夏真っ盛りとなりました。
毎日暑いので、デコルテのところが大きくあいてるものや、袖が短めの服を着ることが多くなりました。せっせと日焼け止めを塗ってはいますが、ベタベタするのが嫌な感じです。
でも、無防備に紫外線に肌をさらすことを思えば、少しぐらいは我慢です。
昨日、京阪に乗り四条方面へ、そして四条通りを渡るのに信号待ちをしていました。
信号は赤のはずなのに、たくさんの人が信号無視をしています。
「危ないなあ」と思いながら見ていると、車がまったく通っていません。
白いはっぴを着たお兄さんが小走りに向かう方に目をやると、神輿らしきものが見えました。
後祭の日だと気づきました。
後祭は、2014年から50年ぶりに復活しました。1,000年続く祇園祭をより伝統的な形で後世に残したいという京都の人々の熱い思いが、半世紀ぶりの復活を叶えたのではないかと思います。
私が垣間見たのは後祭の還幸祭神輿渡御という神事でした。
優雅な山鉾巡行とは対照的ですが、厳かに3基の神輿が八坂神社にご還幸します。
手遅れや後悔の意味を表すのに、「後の祭り」という言葉があります。
祇園祭の山鉾巡行は、後祭よりも前祭の方が賑やかなことから、「祭りのメインの後に見物に行ってもしょうがない」という意味で生まれた言葉だといわれています。
「後の祭り」にならないよう、今できることには精一杯取り組みたいなと思いました。
今年は便乗したような感はありますが、祇園祭の宵山と後祭を観ることができました。
祇園祭は、もともと厄災の除去を祈ることから始まったとされています。
何だか、ついでに厄祓いもできたような気になってきました。
今年の夏は、happyなことがあるかもしれません。
今日も、よい一日をお過ごしください。
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2022/07/24 05:55プライス高いブランド京野菜
おはようございます。
まだ日の出前の空を借景に、昨夜の月がはっきりとその輪郭を描いていました。
そして、赤銅色に染まる朝焼けとコラボしながら、朝まだ早い空は月と太陽の饗宴のようでした。
明るくなった空。
ポップコーンがはじけたような小さいつぶつぶが規則正しく並んでいる様が、とても可愛らしく思えました。
いわし雲?
先日、ホテルで昼食会がありました。
コース料理を進めていく途中で、サラダが出てきました。
サラダといえば、おまけのように付いてくるようなイメージのものが多いなか、見た目に美しく美味しそうなサラダでした。
さすがはプロのセンスと技。サラダひとつにも手を抜いていないことがよくわかりました。
さらにもう一つのこだわりを見つけました。
それは京野菜を使っていたことです。
おそらく、サラダに入っていた水菜、壬生菜、かぼちゃととうがらしがそれではなかったかと思いました。
京野菜とは、読んで字のごとく京都で獲れた野菜のことです。
かなり厳しい規格があり、認定されていないとブランド名を正式に名乗れないそうです。
厳しい基準をクリアして、「京の伝統野菜」と「ブランド京野菜」にそれぞれ認定されます。
前者の方の厳しい基準の一つ目は、明治維新以前から京都で作られていたものとありました。
後者は、京都産のもののなかでも特に品質が優れたものが認定され、その証として「京マーク」が貼付けされています。
現在認定されている24種類の野菜を総じて「ブランド京野菜」といいます。
京料理、京懐石、京漬物、京豆腐…。
「京」がつくと人気もあり美味しいのですが、値段の高さも気になるところです。
京野菜もそうです。
同じ水菜でも京野菜となると、倍以上の値段になります。さらにブランド京野菜となると、価格の方もブランドです。
そういうこともあってか、一般の家庭ではあまり馴染みがなく、使っているのはほとんどが料理屋さんのようです。
ハードルも高い、プライスも高い、プライドも高い京野菜です。
お土産に京野菜をリクエストされたことがあります。まだ食べたことがないからと言われました。
いつもならお菓子を持参するのですが、野菜なら重いけど安くて済むかなという気持ちで、デパ地下に行きました。適当に詰め合わせてもらいましたが、金額を聞いて驚きました。
「野菜だけなのに、こんなに高いの?」と。
お土産を受け取られた方が、重さだけではなく、この価値を理解してくれることを願っていました。
今日も、よい一日をお過ごしください。
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2022/07/23 05:52本日丑の日うなぎの日
おはようございます。
久しぶりに月を観ました。
三日月にはまだ少し早い、ちょっとコロンとした形をとても愛らしく感じました。
その隣に星がふたつ並んで、美しく輝いていました。
朝を迎える少し前のとても素敵な空でした。
今日も、何かいいことがありそうな予感がします。
今日は、土用の丑の日。
今年は、7月23日と8月4日の2回あります。
土用とは四季の四立(立春、立夏、立秋、立冬)の直前の18日間をさします。この期間中の丑の日が土用の丑の日です。
ですから本来は、土用の丑の日はそれぞれの季節ごとにあるのです。
でもなぜか、7月がよく知られています。
鰻を食べる日だと。
鰻を食べる習慣が広まったのは、江戸時代からだそうです。
「夏に鰻の売上が落ちる」という相談を受けた蘭学者の平賀源内が、「本日丑の日、土用の丑の日うなぎの日 食すれば夏負けすることなし」という看板を立てたら大繁盛したという説があります。
これは、日本初のキャッチコピーといわれています。
鰻は値段が高いので、なかなか普段は家で食べる機会もありません。
ですが、ビタミンAが特に豊富で100g(三分の二くらい)食べるだけで一日の摂取量を満たすことができるそうです。
ビタミンAは、目の機能や皮膚の健康によいとされています。
最近は目も疲れているし、美肌のためにも、今日は鰻をしっかりと食べようと思います。
明日は、お肌が艶々になっているかもしれませんね!
今日も、よい一日をお過ごしください。
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2022/07/22 05:50我儘な志賀流
おはようございます。
昨晩から降った雨で、ところどころに水溜りがまだ残っていました。
せっかくの白いシューズが朝から汚れてしまったのが残念でしたが、すぐに洗ってまた白さを取り戻しました。
やはり、白いものはあくまでも白くです。
昨日は奈良に行きましたが時間があったので、「petitならたび」を楽しみました。
奈良公園の奥へと足を進めると、そこには奈良時代からの自然がそのまま残っているような静寂で素朴な世界が広がっています。
ところどころにある山荘風の建物は年代を感じさせますが、そこがまたまわりの自然に融け込んで、さらに奥深い味わいを出しています。
まるでパワースポットのような空間でした。
そのなかに、ある邸宅を見つけました。
「志賀直哉旧邸」と書かれていました。
志賀直哉は、明治から昭和にかけて活躍した小説家です。
志賀直哉のファンだったというわけではないのですが、ある本に「志賀直哉の無駄のない文章が小説文体の理想のひとつと見なされ、高く評価されている」とありました。
「志賀さんの文章みたいなのは、書きたくても書けない。どうしたらあのような文章が書けるのでしょうか」という芥川龍之介の質問に、
「文章を書こうと思わずに、思うままに書くからああいう風に書けるんだろう。俺もああいうのは書けない」と夏目漱石が答えました。
また、「あれほどの事物描写の能力を、自分は持ち合わせていない」と作家志望だった和辻哲郎はその道を諦め、学問の道へと進みました。
このふたつのエピソードは、志賀直哉の魅力の本質を解き明かしています。
「思うまま書く」志賀流は、「極めて我儘な書き方」でもあります。
わかりやすくとか読者のためにという配慮よりも、興味を抱いた対象にはありありとかたちを目に浮かべ、できるだけ言葉を節し、強く簡潔に素晴らしい鮮やかさで描き出しています。
宮本百合子はそのことを「志賀さんの作品は活字が立っている」と評しました。
今、あるがままの自然の緑がとても美しい庭を眺めています。
そこに夏の花である愛らしい百日紅が色を添えているのが、とても小粋な演出です。
それがわざと飾られているわけではなく、至って自然なのです。
この美しくどこか懐かしいロケーションを、「思うままに書く」志賀流では、どのような活字として表れるのだろうかと考えていました。
志賀直哉の奈良での13年間の生活は、彼の生涯のなかで、思うままに暮らし、思うままに語り、思うままに書くというかけがえのない時間となっていたのではないかと思いました。
まさに、我儘な志賀流です。
今日も、よい一日をお過ごしください。